【所縁の史跡】中山神社(岡山県)

 

中山神社 [地図]

岡山県津山市一宮に鎮座し、美作国一の宮として崇敬を集める中山神社です。

『延喜式』神名帳の美作国苫東郡に、名神大社「中山神社」があります。
すぐ東を鵜の羽川が流れ、そのせせらぎを感じられる清々しい神社です。

『三代実録』貞観二年正月二十七日条には、美作国の正五位下中山神に従四位下を授けたことが見え、貞観七年七月二十六日条には従三位に、貞観十七年四月五日条には正三位に神階を進めたことが見えます。

主祭神は鏡作命。相殿神に石凝姥命、天糠戸命を祭ります。

祭神には諸説あり、吉備津彦命、金山彦命、天鏡命などが挙げられています。

創建は社伝によると慶雲(707)四年四月三日。
備前国から美作国が分立した、和銅六(713)年をあてる説も有力です。

社伝に興味深い物語があります。
当地には古く大己貴命が鎮座していたが、中山神に宮所を譲ったところ、以前から大己貴命を奉じていた伽多野部長者乙丸が、それを不満に思った。これに怒った中山神の眷属・贄賄㹳狼神が乙丸に祟ったので、乙丸は毎年二頭の鹿を供えることにした。贄賄㹳狼神はこれを許し、牛馬市を開かせた。その後、乙丸は弓削庄に退いた。
というものです。

「伽多野部(かたのべ)」は肩野部であり、乙丸は物部肩野連・肩野物部に連なる物部氏と考えられます。

志野敏夫氏は、物部氏は当地での製鉄を掌握する存在であり、この物語を、物部守屋滅亡後に権力の座から遠ざけられた史実を反映したものと推定しています。

境内社の総神殿です。
美作国の全神祇を祀ります。

国司神社です。
中山神が当地に遷り来る以前から鎮座していたという、大己貴神を祀ります。

御先神社です。
稲荷神を祀ります。

鉾立石。
国難の際に本社に移し、鉾を立てて祈願したものといいます。
現在の石は正応五(1292)年の作だそうです。

猿神社です。猿多彦神を祀ります。
小さくて赤いヌイグルミが、たくさん奉納されていました。

『今昔物語集』や『宇治拾遺物語』では、中山神社の神は猿神とされており、この神社の神と関係するのかもしれません。

 

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