【所縁の史跡】建布都神社(徳島県)

 

■ 建布都神社 [地図]

徳島県阿波市市場町香美郷社本に鎮座する、建布都神社です。
『延喜式』神名帳に阿波国阿波郡の「建布都神社」があり、ここはその論社のひとつです。

祭神は、建布都神、経津主命、大山祇命、事代主命。
建布都神については、『古事記』に武御雷之男神の別名であることが見え、『旧事本紀』によれば石上神宮の神とも同神であるようです。

創建年代は不詳。平治権現(おへーしさん)と称していたといいます。
明治三年に郡の八幡神社と式内社を争った後、現在の社名に復したそうです。
明治五年には郷社に列しました。

参拝時、拝殿の額の裏に、鳥が巣を作ってました…。

境内には古墳があります。建布都古墳です。
直径17メートル程の円墳です。

墳丘上には緑色片岩の石材が見えます。
石室材の一部だったものでしょうか。

古墳の南側には、やはり緑色片岩製の板碑が建てられています。
銘文によると、応安二年に、法眼定金という人が造立したものです。
主体部の石材を利用した可能性も考えられますが、市内の山野上にある大野寺の宝篋印塔と一緒に別の場所に建立されていたものを、宝篋印塔は大野寺に、板碑は建布都神社内に移築した、という伝承もあるそうです。

境内末社の天満宮と山神宮。

拝殿の屋根がちょっと面白いです。
シャチホコのほか、白虎、青龍、朱雀、そして玄武、といった具合に、四神があしらわれていました。

 

■ 八幡神社 [地図]

徳島県阿波市市場町香美八幡本に鎮座する、八幡神社です。
当社に合祀された藤太夫須賀杉尾社が、式内建布都神社の論社です。

祭神は、応神天皇、神功皇后、玉依媛命、大己貴命、事代主命、大山祇命、猿田彦命、萱野媛命、菅原道真公。

創建の時期は不明ですが、境内の改築記念碑は、細川氏が秋月城において阿波を支配していた十四世紀半ばころではないかと推定していました。

「寛政四年八月吉日」と彫られた石灯籠。

本社の正面の鳥居には「八幡宮」と書かれた額がかかり、その右側には「杉尾大明神」の額がかかる鳥居が並んでいました。

写真の境内社は本社の右にあったので、これが杉尾神社なのかもしれません。

 

■ 建布都神社 [地図]

徳島県阿波市土成町郡に鎮座する、建布都神社です。
ここも式内建布都神社の論社です。

鎮座地の地名「郡」は、かつての阿波郡の郡衙が置かれたとされることに由来します。

祭神は、建布都神と経津主神。

同地区内にあった西宮神社を平成十二年に合祀したようで、鳥居にも額が二つかかっていました。

『阿波郡誌』の伝える由緒には、文安年間に領主原田大和守が荒廃を嘆いて社殿を修復、鏡一面を献したこと、のち兵火にかかり森林中の小祠となっていたが、天正十四年に太守家政が国内巡検したとき、どんな神を祭るか尋ね、社人は武神なので八幡宮であると答えたため、それ以来北八幡宮と称したこと等が見えます。

天保十五年の狛犬があるそうです。写真のは違うでしょうか。

 

■ 赤田神社 [地図]

徳島県阿波市土成町成当に鎮座する、赤田神社です。
ここも式内建布都神社の論社のひとつです。

祭神は、武甕槌神と経津主神。

土成小学校の敷地の南に沿って桜並木の参道があります。私が訪ねたときにはとっくに散ってましたが、 ちょうどいい時期に参拝すれば美しい神社なのでしょうね。

『釈日本紀』は、神功皇后摂政前紀にあらわれる「尾田の吾田節の淡郡に所居る神」を、阿波郡の建布都神にあてます。
「吾田」は当社の社名「赤田」に通じ、「節」は「布都」ということになります。
ただし、この神については異説もあって、志摩国答志(たふし)郡の粟島坐伊射波神社(伊雑宮)をあてる説も有力です。

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