【所縁の史跡】物部神社と重浪神社(兵庫県)
■ 韓国神社 [地図]
兵庫県豊岡市城崎町飯谷に鎮座する、韓国神社です。
『延喜式』神名帳の但馬国城埼郡に見える、「物部神社」に比定されています。
明治以前は、「韓国」の名に引かれたのか、震旦国大明神とも通称されたそうです。
祭神は、
物部韓国連真鳥命、
物部韓国連墾麿命。
真鳥命と墾麿命とは父子。
『式内社調査報告』によれば、素盞嗚尊を祭神にあてる説もあるようです。
社伝によると、武烈天皇の命を受けて韓国に使いした物部真鳥は、任務を果たして、但馬の三島の水門に着き、復奏。この功績によって韓国連の姓を賜ることになったといいます。
その子
渚鳥(墾麿・榛麿)は欽明朝に現在の飯谷を開墾したとされ、飯谷(はんたに)の地名は墾谷(はりたに)に由来するといいます。
境内の遷社碑。
昭和四年に立てられたもののようです。
明治四十二年十一月に社殿が焼失し、大正元年に再建されましたが、昭和二年の北丹後地震により、隣接する山林が崩壊して社殿が埋没する災害に遭ったといいます。
境内社。
左が養父神社、右は稲荷神社のようです。中央はわかりませんでした。
祭神については、偽書「但馬故事記」にも見えています。
「人皇三十代(ママ)欽明天皇廿五年冬十月 大売布命の裔
物部韓国連榛麿を以て、城崎郡司と為す。
物部韓国連は、武烈天皇の勅を奉じ韓国に遣わされ、復奏の日、姓物部韓国連を賜いし者。榛麿は其の子なり。
韓国連榛麿は針谷を開き、住処と為す。故れ榛谷と云う。父物部韓国連命を榛谷丘に祀り、物部神社と云う。[また韓国神社とも云う]」
(城崎郡故事記)
神社から北西に600mほど行くと、楽々浦です。奥まった湾なので波は静かな様子。
物部真鳥帰朝の地、三島の水門がこことされます。
円山川河口から津居山湾に出ると日本海です。
■ 重浪神社 [地図]
兵庫県豊岡市畑上に鎮座する、重浪神社です。
「延喜式」神名帳の但馬国城埼郡に見える、「重浪神社」に比定されています。
風情ある四脚鳥居をくぐった境内には、大きな樹が数本あります。
祭神は、
物部韓国連神津主命。
韓国神社に祀られる物部韓国連墾麿の子です。
また、上津綿津見命や、海部直の祖神にあてる説があるようです。
鳥居の奥に割拝殿、その奥に本殿があります。
割拝殿の中には囲炉裏も。
天武天皇の白鳳三年六月に、物部韓国連久々比が父の神津主を敷浪の丘に葬り祀ったことに始まるとされます。
『但馬故事記』には、次のように見えます。
「人皇三十四代推古天皇三十五年冬十二月 物部韓国連榛麿の子
神津主を以て、城崎郡司と為す。神津主は物部韓国連榛麿を榛谷丘に葬る。
人皇四十代天武天皇白鳳三年夏六月 物部韓国連神津主の子
久々比命を以て、城崎郡司と為す。久々比命は神津主命を敷浪丘に葬る。」
本殿の左側に、「御船岩」という岩があります。
神の依り来る磐座の類いとも考えられています。
長さは6mほどあるでしょうか。
境内社。
左から稲荷神社、山神社、四社恵神社、丹生神社、祇園神社、宇賀神社、秋葉神社、山野口神社です。