【所縁の史跡】越智神社(長野県)

 

 ■ 越智神社 [地図]

長野県須坂市幸高屋敷添に鎮座する、越智神社です。
『延喜式』神名帳の信濃国高井郡に、「越智神社」があります。

祭神は、饒速日命と建御名方命。

寛延三(1750)年まで諏訪社だった神社を、現在の社名に改めたといいます。
祭神饒速日命は、社名と越智氏との関係が考えられたもののようです。

越智直は、『姓氏録』左京神別に石上朝臣と同祖と記される物部氏族です。伊予の小市国造がよく知られています。

『三代実録』貞観九(867)年三月十一日条に、信濃国高井郡の人・従八位上の物部連善常が山城国へ本貫を改めたことが見え、当地への物部氏の一定の展開が想定できそうです。

境内には大きな木が数本あります。下の写真は本殿の右手にある朽ちた神木。

このほか、境内社は公民館の南側の神明社と秋葉権現社をはじめ、社殿の後ろにも小祠が多数あります。


小内神社 [地図]

長野県長野市若穂綿内に鎮座する小内神社です。
『延喜式』神名帳の信濃国高井郡に「小内神社」がみえます。また、「越智神社」の論社でもあります。

『和名抄』にある高井郡小内郷、もしくは穂科郷がこの一帯にあてられます。

祭神は、可美摩遅命、建南方刀美命、埴安命。

物部氏の祖・ウマシマヂノミコトが祀られているのは、式内越智神社を継承しているとの主張のためと考えられます。上記の須坂市の越智神社のほうが、寛延の式社定のときに越智神社の社号の許可を得たため、まだどこからも願い出のなかった小内神社の社号を称するようになったともいいます。

社号標に「吉田茂謹書」とありました。

社号「越智」について、物部氏族以外に、地名に由来するとの見方もあります。
南東に望む妙徳山は越智山ともいい、神社南方1キロ程には越智山蓮台寺があります。

蓮台寺は、越前の越知山や加賀の白山を開いたとされる、「越智」泰澄の開基を由緒に持ち、これが地名になったとするものです。

神社の東側が榎田遺跡で、上信越自動車道建設にともない古墳時代中期から後期にかけての住居跡が約500軒、九世紀中ごろから後半ころの住居跡が30軒ほど確認されています。
神社と千曲川の中間付近にある高野遺跡でも奈良時代や平安時代の住居跡が多数確認されており、継続的な居住のあったことがわかります。

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