【所縁の史跡】乃伎多神社と物部古墳群(滋賀県)


はじめに

『延喜式』神名帳における近江国の神々は155座を数えます。これは、大和国(286座)、伊勢国(253座)、出雲国(187座)に次ぐ多さで、うち湖北に位置する伊香郡が46座と特に密集しています。
いま、志賀剛氏『式内社の研究』による比定を見ると、町域28平方kmの旧高月町には16の式内社が存在するといいます。すなわち、1.75平方kmに一社という密度で式内社がひしめいているということになります。

そして、その前史を物語ると考えられるのが、多数の古墳たちです。滋賀県下最大の古墳群といわれる古保利古墳群をはじめ、松尾宮山古墳群、山畑古墳群、涌出山古墳群、赤尾古墳群、唐川宮山古墳群などが一帯に知られています。
このうち、余呉川中流域左岸の、地名「物部」付近を中心に営まれたのが、物部古墳群です。

 南方から見たとき神南備山状の秀麗な姿を見せる山本山は、琵琶湖水上交通における航海の目印として重視されたことでしょう。当地は、琵琶湖から日本海の交通へと接続する重要な地域でした。

密集する延喜式内社と古墳の存在は、土着の豪族たちの繁栄とともに、『和名抄』所載の安曇郷と関係する安曇氏や、伊香具神社への関与が考えられる中臣氏といった勢力の扶植により、多くの集団がこの地域に拠点を持ったことを示すと思われます。
物部氏も、これら集団の主要なひとつであったからこそ、今日に至るまで平野中央部に「物部」の地名を残しえたのでしょう。乃伎多神社は、論社のひとつが物部にあることで知られます。

 

乃伎多神社(東物部) [地図]

滋賀県長浜市高月町東物部に鎮座する乃伎多(のぎた)神社です。
JR高月駅から北西に1.5kmほどのところに位置します。

『延喜式』神名帳の近江国伊香郡に、「乃伎多神社」が見えます。

祭神は、味饒田(うましにぎた)命。

天孫本紀に宇摩志麻治命の長子で、物部氏族・阿刀連の祖とされます。
他には、饒速日命を祭神にあてる説もあります。

『特選神名帳』が紹介するところの社伝によると、東物部集落の東にはノキタという地名があり、その中に「正の宮」と呼ばれる場所があったといいます。それがかつては大社だった乃伎多神社の旧跡であると主張しているのです。
ノキタ地名の存在については疑うむきもあるようです。

往古、神主は物部氏が掌っていたが、その社家は断絶したため、村中巡番に神勤し古例のまま物部氏と称して神事に列座、神座衆・五位衆と称するようになったとされます。

↓本社の左手(南側)にある十禅師社です。

中世以降、衰退しながらも存続していた乃伎多神社の社殿も賤ヶ岳の戦いにまきこまれて焼失し、十禅師社のあった現在地へ遷座したと伝えます。

社務所のデザインがモダンでとても素敵です。洋館っぽくもあり、屋根は瓦葺きでもあり。大正~昭和初期チックですね。


横山神社古墳 [地図]

高月町横山に鎮座する式内横山神社(祭神 大山祇命)の境内にあるのが横山神社古墳です。東物部の乃伎多神社からは北へ600mほどのところに位置します。
物部古墳群の北群の中心的な古墳です。

西に前方部を向ける前方後円墳で、墳長は約36mといいます。
横山神社の境内社である稲荷社が墳丘上に鎮座します。

↓後円部墳頂の様子。

後円部の南側にある石塊から、横穴式石室を持った古墳時代後期の古墳と推定されています。

これのことでしょうか、石塊。

南(物部大将軍塚古墳墳丘上)から見た横山神社の杜です。奥は涌出山。


兵主神社古墳 [地図]

高月町横山に鎮座する兵主神社です。横山神社から北東にすぐのところにあります。
『延喜式』神名帳に「兵主神社」が見えます。
祭神は素盞嗚尊。

ヒヤウズの森とも呼ばれる境内に石祠がたたずみますが、ここにあるのが兵主神社古墳です。
墳丘はかなり削平を受けているようで、墳形等は今ひとつわかりません。前方後円墳の可能性が指摘されているようです。


大将軍塚古墳・生塚古墳 [地図]

横山神社と東物部の乃伎多神社との中間あたり、田地のなかに、物部大将軍塚古墳があります。
ものすごく強くて偉そうな名称の割りに、現存する墳丘は小さいです。
別名を下生塚古墳というそうです。

円墳と見られていますが、詳細は不明。

大将軍塚から東にすぐのところにあるのが、上生塚古墳です。
一見すると、田圃を造るときに出た邪魔な砂利や石が集まって出来た塚のように見えますが、県の教育委員会の「文化財を大切に保存しましょう」標柱が立ててあります。

こちらも詳細は不明。


瓢塚古墳 [地図]

東物部の乃伎多神社から北東に700mほどのところにあったらしい古墳です。
現状では墓地になっているあたりです。
北陸自動車道の脇を通る側道が、ここだけ避けてふくらんでいます。


姫塚古墳 [地図]

高月町東柳野に所在する姫塚古墳です。集落の東の田園の中にあります。

式内売比多神社(比売多神社とも)の旧跡で、神社は東へ約500mのところへ遷座しています。
かつては伊香具神社の祭礼十日前に御幣がこの古墳に立てられるしきたりがあったとも伝えます。

従来は、全長70mほどの前方後円墳で、築造時期も立地などから五世紀代と考えられていました。しかし近年行われた墳丘裾の調査から、80m前後の前方後方墳で、時期も四世紀にさかのぼるのではないかと見られるようになりました。

姫塚古墳は物部古墳群の南群の中心的古墳です。南には陪冢ともいわれる上ミチ塚・下ミチ塚や、くるみ塚古墳があったとされますが、現在は削平されて田んぼの一部となったのか、見当りません。


父塚古墳 [地図]

高月町東阿閉に所在する父塚古墳です。姫塚古墳からは南に1kmほどのところです。

円墳とすれば直径約40mの、前方後円墳なら墳長70m~80mの規模を持つ可能性があるそうです。


乃伎多神社(東阿閉) [地図]

高月町東阿閉に鎮座する乃伎多神社です。式内「乃伎多神社」のもうひとつの論社です。
北八幡宮とも呼ばれたそうで、祭神は安曇連の祖・天造日女命と、誉田別命。
安曇郷の鎮守として古来より崇敬されてきたといいます。

境内には本社の左に薬師堂、右に不動明王が祀られていました。

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