【所縁の史跡】日前神宮・国懸神宮(和歌山県)

 

日前神宮・国懸神宮 [地図]

和歌山県和歌山市秋月に鎮座する、日前(ひのくま)神宮・国懸(くにかかす)神宮です。日前宮の通称でも知られます。

『延喜式』神名帳の紀伊国名草郡に、「日前神社」「国懸神社」がみえます。

紀伊国造家によって祀られてきた古社。ともに名神大社です。
朝庭から奉幣はあっても神階叙位は無く、名草郡が神郡(租税を神社の修造など運営に充てる郡)とされるなど、特別な待遇を受けていました。

西側(左側)に位置する日前神宮。
日像鏡を霊代とした日前大神を祭神とします。

『日本書紀』神代上第七段第一の一書に、石窟へ籠もった天照大神を招き出すため、「彼の神の象を図し造」ったのが、天香山から採った金属を材料として石凝姥が作った「日矛」と、「真名鹿の皮を全剥ぎて、天羽韛に作る。此を用て造り奉る神は、是即ち紀伊国に所坐す日前神なり」とされます。
また、『古語拾遺』では、「石凝姥神をして日の像の鏡を鋳らしむ。初度に鋳たるは少に意に合はず。[是、紀伊国の日前神なり] 次度に鋳たるは、其の状美麗し。[是、伊勢大神なり]」といいます。

両神宮は同一境内ながら各個独立の神社で、一方がもう一方の摂末社というわけではありません。ただし社務所や神楽殿はひとつです。

『文徳実録』嘉祥三年十月二十日条には「日前国懸大神社」、『三代実録』貞観元年七月十四日条には「日前国懸両社」の表現がみえます。
早くから並祀され、深い関係にあったことがわかります。

東側(右側)に位置する国懸神宮。
日矛鏡を霊代とした国懸大神を祭神とします。

天武紀朱鳥元年七月五日条に、天皇の病に際して幣帛を飛鳥四社・住吉大神と並んで奉られた「紀伊国に居す国懸神」がみえ、これが史上の初出です。


摂社の天道根命神社。
紀伊国造を輩出した紀直氏の祖、天道根命を祀ります。

『旧事本紀』国造本紀の紀伊国造条に、「橿原朝の御世に、神皇産霊命の五世の孫、天道根命を国造に定め賜ふ」とあって、神武朝に任じられた初代の紀伊国造とされます。

紀直氏は紀伊の在地豪族であるばかりでなく、大和王権の外交分野でも活躍したと見られる氏です。
神功皇后の三韓征伐に従軍し、異常気象の原因を言い当てた老父を配下に持つ豊耳命(第九代国造)、敏達朝に日羅を招聘するため百済へ交渉に赴いた忍勝直(第十七代国造)などが、『日本書紀』の記述でも知られます。
東へ3kmほどのところにある、岩橋千塚古墳群を、その奥津城にあてるのが定説になっています。

深草神社の祭神は野槌神。

摂社の中言神社。
社殿はふたつあり、それぞれに名草彦命と名草姫命を祀ります。

『紀伊国造次第』に五代目の国造として大名草比古命がみえます。
天道根命が和歌山市毛見で行宮を建てて祭祀を行ったのを受け、垂仁朝に現社地へ遷座したのが大名草比古命ともいわれます。

傷んで朽ちかけの境内社がたくさんありました。
日前神宮の末社は三十座あるそうです。
列挙すると、天香語山命、天太玉命、天児屋根命、天櫛玉命、天神玉命、天椹野命、天糠戸命、天明玉命、天村雲命、天背男命、天御蔭命、天造日女命、天世手命、天斗麻弥命、天斗米命、天玉櫛彦命、天湯津彦命、天神魂命、天三降命、天日神命、天乳速日命、天八坂彦命、天伊佐布魂命、天伊岐志迩保命、天活玉命、天少彦根命、天事湯彦命、天表春命、天下春命、天月神命。
いずれも、櫛玉饒速日尊に付き従って降臨したことが『旧事本紀』天神本紀にみえる、三十二防衛神の神々です。残りの神のうち、天道根命は社家の祖だけあって別格で、上にも紹介した摂社に祀られます。

田中卓氏は、紀伊国造系譜(『紀伊国造職補任考』)に、日前国懸両神が天降ったとき天道根命が従臣として仕え、奉斎したとする所伝に注目し、同じ天道根命が天神本紀では饒速日尊に供奉していることを、「両者は同一の事実を別の表現でもつて伝へたに過ぎず」、『古語拾遺』のいう「初度の」「少しく意に合はざる」日前神宮の鏡とは饒速日尊の天降りを意味し、「次度の」「美麗な」伊勢神宮の鏡は瓊々杵尊の天降りを意味するという説を述べます。

末社の神々から推すと、田中氏以前にも似たような解釈をした人がいたのでしょうか。

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