【所縁の史跡】下野国薬師寺と道鏡(栃木県)

下野薬師寺跡 [地図]

栃木県下野市薬師寺の、国指定史跡「下野薬師寺跡」です。

神護景雲四(770)年八月、称徳天皇の崩御によって後ろ盾を失った道鏡は、この地に造下野薬師寺別当としてやってきました。事実上の、配流だったと見られています。
天平勝宝六年には薬師寺僧行信が流されており、ここは高僧の配流先としての役割を持っていたようです。

現在、安国寺というお寺が建っています。

下野薬師寺の創建に関しては、下毛野氏の氏寺として始まったとする説と、当初から官寺として始まったとする説があります。
出土の瓦から、7世紀末の創建と見られ、天武朝の下毛野朝臣古麻呂の関与によるものとする考えもあるようです。

礎石。

近くの民家の人が、東塔跡付近から掘り出したと伝えられています。
ほぞ穴の形式から、白鳳時代のものと見られています。

六角堂。
中には鑑真和上の画像を納めた厨子が安置されています。

このあたりに、受戒の儀式を行うための戒壇が設けられていたと見られています。
戒壇院は東大寺以外では、筑紫観世音寺と、ここ下野薬師寺にのみ置かれました。

一部分が復元された回廊です。
発掘調査の結果、回廊は東西110メートル、南北102メートルにもおよぶことが明らかになりました。壮大な伽藍は地方寺院としては破格の規模で、中央の国大寺にも比肩するものでした。


 ■ 道鏡塚 [地図]

道鏡塚古墳です。
宝亀三(772)年に没した、道鏡の墓だと伝えられています。下野国薬師寺別院として建立されたという縁起を持つ、龍興寺の境内にあります。

6世紀末ころに造られたと見られる円墳で、直径は約24メートルあります。
道鏡の時代には合わないようです。

『続日本紀』に、道鏡の死に際しては、庶民としての待遇で葬られたとあります。
このような立派な墳墓が築かれることはなかったでしょう。

 

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