【所縁の史跡】曲田山古墳(兵庫県)

曲田山古墳 [地図]

兵庫県洲本市津田の曲田山古墳です。

曲田山の南麓、仲津交流会館の北側にあります。が、ちょっと分かりにくい場所です…。民家の脇を抜けて、小さな倉庫の裏側に、竹やぶに覆われていました。

直径10.8メートルの円墳といわれますが、薮のせいで今ひとつ墳丘は分かりにくかったです。イメージとしては、山の斜面にいきなり石室が開口している感じです。

石室の全長は7.8メートル。両袖式ですが、左袖部が顕著です。 玄室の長さは3.6メートル、幅1.7メートル。高さは1.9メートルになります。身長180センチの私が立って、握りこぶし一個が入るくらいだったので、間違いありません。

淡路に大型の墳丘や石室を持つ古墳は少なく、曲田山古墳の石室は、この地域では最大級のものになります。

畿内の勢力の影響を比較的受けやすかったということでしょうか。

天井石はかなり大きかったです。

 

亀谷古墳 [地図]

洲本市物部の亀谷にある、亀谷古墳です。 封土はすっかり削平されてしまっています。
直径約8mの円墳だったそうで、玄室の長さが2.83mの石室を持ちます。

現状はコンクリート製の小さなお社が祀られています。この下に、石室だけ保存されているようです。

洲本市の物部、洲本、千草、塩谷、宇山などの一帯は、『和名抄』にみえる、淡路国津名郡「物部郷」にあたると見られています。 『三代実録』貞観三年十月二十八日条の淡路国浪人「物部冬男」は、当地を本貫としたものでしょう。
郷域内の曲田山古墳には、『洲本市史』のように物部氏との関連を考える説もあります。

 

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