【先代旧事本紀】『先代旧事本紀』とは・1

江戸時代の国学者、本居宣長は、『古事記伝』一之巻のなかの「旧事紀といふ書の論」という一節で、先代旧事本紀についての見解を述べています。次のとおりです。



世に『旧事本紀』とよばれる十巻の書がある。これは後世の人が偽り集めたものであって、決して聖徳太子のお選びになった書ではない。
[序文も、『日本書紀』の推古天皇の巻の記事に拠っていて、後世の人が作った物である。]

しかし、そうはいっても、事実無根の話をひたすらに造作して書いたわけでもない。
『古事記』と『日本書紀』とを取り混ぜて集めている。そのことは、巻を開いてひとたび見れば、とてもよく分かることであるが、なお疑い深いような人は、神代のことを記した部分を注意深く見るがよい。『古事記』の文と『日本書紀』の文とを、皆もとのままで交ぜて挙げているので、文体が一つに統一されていない。「木に竹を接ぐ」といった感じである。
また、『古事記』の記事も『日本書紀』の記事もいっしょに取りあげ、なかには重複している部分まであって、本当に粗雑である。『古事記』と『日本書紀』とは、全体の文体も物の名前の表記なども、ひどく異なっているので、まざって取られていても、区別ははっきりしている。
また、ところどころ『古語拾遺』から取られた部分もある。これも原文のままなので、はっきりしている。[このことを考えると、旧事本紀は大同年間より後に作られたものである。そのため、書中に「嵯峨天皇」のことがみえるのである。]

このようにして神武天皇より以降の時代は、もっぱら『日本書紀』のみを引用し、省略して書いている。これも『日本書紀』とまったく同じ文なので、明らかである。そのうえ、歌はみな省略しているのに、どういうわけか、神武天皇の巻にあるもののみを載せている。仮名まで一字も異ならずに有るのである。

さて、某本紀、某本紀などという、巻々の名前なども、みな内容と合致せず、すべて正しくない書である。
ただし、第三巻のうちの饒速日命の天降りのときの記事と、第五巻の尾張連・物部連の系譜と、第十巻の国造本紀などは、どの書物にもみえず、新たに創作した記事とも思えないので、他に古文献があって、そこから取ったものであろう。[古文献から取ったと思われる中にも、疑わしい記事は混じっている。それは疑わしい記事のある各々の箇所で見分けるべきである。] 
だから、これらの記事だけは、今も参考にして用いて、助けとなることが多い。
また、『古事記』の現在伝わっている写本には誤字が多いのに対し、『旧事本紀』には、昔の誤字のない本から取っているため、今になっても誤字の無いところがまれにあるので、これもいささか助けになる。
しかし、大かたこれらのほかは、まったく必要のない書である。
[『旧事大成経』という物がある。これは特に近い世に作り出された書で、ことごとく偽りである。また、『神別本紀』というものも、いま存在しているのは、近い時代の人が偽造したものである。そのほか、神道者と称する連中が用いている書の中に、あれこれ偽っているものは多い。古学にくわしくなって見れば、真書か偽書かは、とてもよく分かる物である。]


原文

「世に旧事本紀と名づけたる、十巻の書あり。此は後の人の偽り輯めたる物にして、さらにかの聖徳太子命の撰び給し、真の紀には非ず。[序も、書紀の推古の御巻の事に拠て、後の人の作れる物なり。] 然れども、無き事をひたぶるに造りて書るにもあらず。ただ此の記と書紀とを取り合せて、集めなせり。其は巻を披きて一たび見れば、いとよく知らるることなれど、なほ疑はむ人もあらば、神代の事記せる所々を、心とどめて看よ。事毎に此記の文と書紀の文とを、皆本のままながら交へて挙たる故に、文体一つ物ならず。諺に木に竹を接りとか云が如し。又此記なるをも書紀なるをも、ならべ取りて、一つ事の重なれるさへ有て、いといとみだりがはし。すべて此記と書紀とは、なべての文のさまも、物の名の字なども、いたく異なるを、雑へて取れれば、そのけぢめいとよく分れてあらはなり。又往々古語拾遺をしも取れる、是れも其文のままなれば、よく分れたり。[これを以て見れば、大同より後に作れる物なりけり。さればこそ中に、嵯峨の天皇と云ことも見えたれ。] かくて神武天皇より以降の御世御世は、もはら書紀のみを取て、事を略てかける、是れも書紀と文全く同じければ、あらはなり。且歌はみな略けるに、いかなればか、神武の御巻なるのみをば載たる、仮名まで一字も異ならずなむ有るをや。さて又某本紀某本紀とあげたる、巻々の目どもども、みなあたらず。凡て正しからざる書なり。但し三の巻の内、饒速日の命の天より降り坐す時の事と、五の巻尾張の連物部の連の世次と、十の巻国造本紀と云ふ物と、是等は何書にも見えず、新に造れる説とも見えざれば、他に古書ありて、取れる物なるべし。[いづれも中に疑はしき事どもはまじれり。そは事の序あらむ処々に弁ふべし。] さればこれらのかぎりは、今も依り用ひて、助くることおほし。又此記の今の本、誤字多きに、彼の紀には、いまだ誤らざりし本より取れるが、今もたまたまあやまらである所なども稀にはある、是れもいささか助となれり。大かたこれらのほかは、さらに要なき書なり。[旧事大成経といふ物あり。此は殊に近き世に作り出たる書にして、ことごとく偽説なり。又神別本紀といふものも、今あるは、近き世の人の偽造れるなり。そのほか神道者といふ徒の用る書どもの中に、これかれ偽りなるおほし。古学をくはしくして見れば、まこといつはりはいとよく分るる物ぞかし。]」




この宣長の理解は、おおむね現代の『旧事本紀』の理解にも受け継がれています。

1.聖徳太子の編纂を称するが実際にはそうではない(偽書)
2.『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』の切り貼りで多くが成り立っている
3.『古語拾遺』の成立や、文中にみえる「嵯峨天皇」(上皇になり、崩御後に追号された名)よりも後の成立である
4.饒速日尊の天降神話や物部氏・尾張氏の系譜、国造のリストにはなんらかの原資料がある
5.大成経など派生文書は近世の成立である

などの指摘です。

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